70th History
1950年代
高崎市東町に於いて初代社長塚越豊平が現マックス(株)の前身である山田興業(株)の求めに応じ、
山田興業の同一敷地内(高崎市東町80番地)で工場開設の準備に入る
山田興業(株)現マックス(株)の専門系列工場とし、個人経営の塚越鍍金で発足
組織を変更し、有限会社塚越鍍金工業所となる(資本金80万円)
親会社マックス(株)の名称にならって社名をマックス鍍金工業有限会社とする(資本金160万円)
1960年代
初代社長 塚越豊平と右手の機械は自動研磨機で10号ホッチキスのハンドル専用研磨機(第9期年商74百万円)
昭和37年当時は現在のような良い光沢剤も無かったのでホッチキス部品の殆どを社内で研磨していた
昭和40年頃のめっき現場
半自動めっき装置が導入される迄は、めっきは全て人の手によって(手付け)行われていた
女子社員も工程に入ってめっきを付けていた
塗装部門をマックス (株)より移管され新保町に塗装工場を新設
半自動めっき装置が導入され、めっき工程の機械化が始まる
1970年代
組織を変更し、マックス鍍金工業株式会社とする
現在地(高崎金属工業団地)に移転
世の中の公害防止機運の高まりを受け、国や県の助成を受けて、高崎金属工業団地協同組合(めっき6社・プレス6社・機械6社)を設立し、現在地に進出
当時の団地組合の周辺は田畑ばかりであった(第17期年商200百万円)
この日組合で落成記念祝賀会が行われ当社来賓としてマックス (株)より蛭田社長が出席された
この写真は同日撮った社長以下社員全員の写真であるが、すでに退職して行った社員や現在も当社で頑張っている社員の若かりし頃の姿が懐かしい
写真人数は監査役2名を除くと社長以下77名であった
(第18期年商274百万円)
団地移転に伴う新設ラインの内、 小形ホッチキスの部品のめっきは全自動装置で行う事とし、こうしたキャリヤ方式という全自動めっき装置は当時殆ど無く当社の装置がそのさきがけと言って良い
その他で新設しためっき装置は全自動10連回転ニッケルめっき装置があり、(めっき4係)
さらに旧工場より移設した半自動めっき装置2ライン(めっき2係)である
第二工場を新設し新保町より塗装工場を移設
自動車部品(用品) へのめっき進出をより加速させる為、めっき2係2ラインを1ライン化し装置も大型化させる
初代社長死去の為、二代目 塚越和夫社長が就任
1980年代
新会社マックス(株)の指導により、業務改善活動や歩行ラリー研修を通じて社内意識の改革を計る
1990年代
第三工場を新設し、めっき3係ラインと食堂を移設
社名をネオプレテックス株式会社と変更
2000年代
二代目社長死去の為、三代目塚越康平 現社長 が就任
簡易貫流蒸気ボイラ設備(MIURA社製)導入
蛍光X線膜厚測定器(フィッシャー社製)導入
2010年代
太陽光発電設備導入
製造3係へ硫酸銅めっき設備移設
製造4係を製造2係に改名
製造2係 ストライク銅ライン設置
社長室 改装
事務所 改装
製造1係 ニッケル槽をFRP製に更新
製造1係 全自動引掛け冶具剝離設備新設
太陽光パネル追加導入
製造1係 固定乾燥機導入
製造1係・製造3係クロム槽をFRP製に更新